ダム建設

初のダム式発電所として、大正7年に北海道芦別市に野花南発電所が誕生し、ダムの原点となっており、佐久間ダムの建設にあたっては、当時の最新技術を使って、仮排水トンネルを掘り、その後のダム建設の発展に転じるキッカケとなりました。

ダム建設に先立つ機材輸送ルートの大町トンネル工事は熊谷組でしたが、湧水で半年間ちかく身動きが取れず、7年という短い工期ではトンネルの開通を待つわけにはいかないので、ブルドーザーで機材を豪雪の屋根に押し上げて、そりを使ってダム現場に運搬する決死の作戦を敢行しました。

ダムの建設は、黒四の頃から変わることなく自然との闘いでもあり、山の地質に悩まされることや、天候に悩まされることもありますが、自然をコントロールできます。

柔構造

地震の多い日本では超高層ビルを建設するのは不可能とされてきましたが、柔構造理論によって、技術的に可能であると考えられるようになり、これまで制定されていた31メートルの高さに関する法律が撤廃され、1965年に霞が関ビルの着工となりました、 この霞が関ビル建設の主導者は、寛永寺から地震に強い柔構造ビルの手掛かりを得ていたのですが、木造の五重塔も柔構造になっており、地震で揺れることで少しぐらい変形しても木組が吸収してしまう原理を、近代的な超高層ビルにも応用したのです。

実際に超高層ビルが建てられるようになったのは、コンピュータの発達で振動計算が容易にできるようになったことや、柱などに使用する高張力H型鋼の生産や溶接技術の進歩によるところが大きいです。

建築基準法が改正され、60メートル以上の建物は超高層建築として地震に対する特別な耐震設計を行い、日本建築センターの評価と国土交通大臣の認定を受けて、建築が許可されるようなります。

さらに現在では、制震や耐震、免震構造にまでおよび、地震や強風などで生じる揺れと、揺れから生じる建物の機能障害などを特殊な装置を組み込むことで管理しています。

また、人と環境に優しい超高層ビルという概念から、省エネルギーシステムを採用し、日本の風土に馴染む環境配列慮型の超高層ビルに力を入れています。