組から建設への呼称の変化

建設業の呼び方は色々ありまして、一般的には建設ですが、工務店や工業、または○○組などもよく見かけますが、組という言葉は誤解されやすいのですが、この組こそ建設業の元の形でして、明治時代以降の請負業は3つに企業として分けられます。

明治維新が起こる前までの時代では、材工一式で請け負うことは例外的なことであり、は注射の直営に近い年間請負くらいのものでした。

また、江戸幕府では、土木や建築のタンと苦は勘定奉行でして、役人の指示に従って大工や棟梁は配下の職人を使って工事を完成させていたのですが、この大工や棟梁の親方を中心とするチームは、「組」と呼ばれていました。

戦後、関東の土木建築業の組という名称から建設に変わったのは、暴力団と紛らわしいので改名するように指示があった為とされており、最初は大成建設から始まり、続いて鹿島建設、清水建設などが次々と改称していきました。

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洋風建築の創業者

1858年以降ですが、西洋の国と外交関係ができ始め、多くの西洋人が長崎や横浜などに居留するようになり、なかでも横浜は、新しく首都になった東京に近いことから、西洋人貿易商の営業所が多く建てられました。

当時、日本の大工や棟梁には、西洋に関する建物の知識は一切なく、西洋人たちによる技師の指導で、日本の伝統的な木造建築技術を使い、西洋風の外観を持つ建物を造り、日本風と西洋風とをほどよく取り合わせた和洋折衷様式と呼ばれる物が出来上がりました。

築地居留地にアメリカ人の設計で築地ホテルが完成し、施工は清水建設の創業者である2代目の清水喜助でして、横浜の外国人応接所も手掛けています。

このように新しい建築技術を身につけた大工や棟梁は大勢いて、第一国立銀行を完成させたのも清水喜助で、東京で最初の本格的洋風建築として評判になり、今でもその面影が残されています。

また、1878年には銀座通りにレンガ街が完成し、このころから石造や鉄骨造など、今までなかった新しい構造や、独特なスタイルの装飾を持った本格的な洋風建築が出現し、設計を外国人が行っていました。

銀座のレンガ街の設計はイギリス人で、施工は大成建設があたりました。